やってることが、わたしの正体

「お父さん、それ、言ってることとやってることが違うよね」
ズバッと刺さる一言。
まさにぐうの音も出ないというやつだ。
「使ったものはすぐ片づけよう」
「食事中は姿勢を正して、テレビや本は見ない」
「やるべきことを先に終わらせよう」
そう言っている自分が、片づけもせずに椅子の背にもたれ、夕食後にダラダラとメールをチェックしていたりするのだから、たしかに説得力がない。
子どもって、耳で聞くよりも、目で見て判断している。
どれだけ立派なことを言っていても、行動が伴っていなければ、見抜かれてしまう。
理想を掲げるということ
「理想を語るのは自由だけれど、現実が追いついていない」
そんな葛藤は、毎日のようにある。
でも、だからこそ語り続けるのだ。
自分はこうありたい、こういう人間でいたい。
理想を描いて、それに少しでも近づこうとする姿勢が、人生の軸になると思っている。
心理学では「自己成就予言(self-fulfilling prophecy)」という言葉がある。
こうなりたいと繰り返し信じることで、無意識のうちにその行動を選び、やがて現実が理想に近づいていく、という考え方だ。
だから私は、今日もブログに書く。
「掃除習慣を続けています」「夜はスマホを見ません」
実際にはできない日も多いけれど、それでもそうありたいと宣言し続ける。
魔物との闘い
本当の自分とは何か。
それを突き詰めていくと、きっと誰の中にも怠けたい自分や逃げたい自分がいることに気づく。
私はよく、「やらなきゃいけないことを、やるための仕組み」をつくっている。
タイマーをかける、予定を公表する、ToDoリストに赤文字で書く。
これは全部、サボりたい自分への足かせだ。
余裕がある時はいい。問題は、心が疲れているとき。
仕事でヘトヘト、家ではバタバタ、そんなときに出てくるのが、本当の正体なのだと思う。
疲れているときにこそ、言っていることとやっていることのズレが表れる。
だから私は、できるだけ余裕を確保しておく。
早寝早起き、運動、食事、そしてこまめな掃除。
すべては、自分をコントロールするための「地ならし」でもある。
子どもは、見ている
私が口うるさく「靴は揃えなさい」「ゴミはゴミ箱へ」と言っているのは、子どもたちに気持ちよく暮らしてほしいからだ。
でも、じゃあ自分はどうなのか?と問われると、ドキリとする瞬間がある。
靴が脱ぎっぱなしになっていたり、やらなきゃいけない事を後回しにしてダラダラしたり。
子どもたちは、その小さなズレを敏感に察知している。
自分がやっていないのに、相手にだけ求めるのは、不公平だ。
そして、その不公平さに真っ先に気づくのが、子どもなのだと思う。
信頼される人になるということ
言葉ではなく、やっていることがその人の正体。
これは、年を重ねるごとに、身にしみてわかってきたことだ。
口では何とでも言える。
でも、行動は嘘をつかない。
そして行動を積み重ねた先にこそ、信頼というものがある。
私はまだまだ理想の自分には届いていない。
だけど、理想を語るのをやめてしまったら、そこに向かう道すら失ってしまう。
だから、私は今日も語る。
そして、やる。
逃げないために、仕組みをつくる。
誰かに見られているから、ではなく、自分が自分を信じたいから。
やってることが、わたしの正体
日々の暮らしの中で、自分という人間を表すのは「言葉」ではなく「習慣」だ。
選ぶ食事、部屋の整え方、朝の始め方。
それらの小さな行動の積み重ねが、わたしをつくっていく。
私は、やっていることと、言っていることが一致している人になりたい。
その人の背中を見た人が、「この人は信頼できる」と感じるような、そんな生き方をしたい。
だからこそ、今日もまた、自分の嫌いな自分と向き合う。
できない日があっても、やめない。
嘘をつかない。
言い訳をしない。
今日も1日、最高に楽しく生きましょう!