エッセイ

自分とは何か

nrtm-ok

「これを飲めば痩せる!」「たった5分で頭が良くなる!」

こんなキャッチーな謳い文句に、つい惹かれてしまうのは、バカのやること。

そんな風に笑う人もいるでしょう。

ええ、そうです。

バカのやること、浅い人間の代表、それはまぎれもなく私のことです。

今回は、「浅い人間」「深い人間」というラベリングについて、ちょっとだけ自分なりの思いを綴ってみたいと思います。

浅い?深い?それ、どっちが正解なの?

「あなたって、浅い人間だよね」と言われたら、多くの人はムッとすると思う。

バカにされた気がして、つい構えてしまうかもしれない。

だけど私は、こう思う。

浅くて何が悪いの?

浅いからこそ、見えている世界がある。

浅いからこそ、できることがある。

そもそも世の中の価値観の多くは「対比」でできている。

善と悪、正解と不正解、男と女、深いと浅い。

でも、本当にどちらかが正しくて、どちらかが間違いなのだろうか?

たとえば悪人と呼ばれる人にも、その人なりの正義や事情があるかもしれない。

罪は罪として裁かれるべきだが、その人の存在すべてが否定されるべきとは限らない。

大事なのは、白か黒かを決めることではなく、自分にとって「向いているか」「合っているか」を見極めること。

どんな性質にも一長一短がある。

深い人間にも弱点があり、浅い人間にも強みがある。

それだけの話だと思う。

フッ軽という、生存戦略

浅い人間の象徴のように扱われるのが「フットワークが軽い」という特性、いわゆるフッ軽だ。

流行にすぐ飛びつく。話題のものをすぐ試す。

自分探しと称してあちこち動き回る。

そんな姿を、深い人間は「自分がない」と揶揄するかもしれない。

でも、そこにはちゃんとした戦略がある。

昆虫学者の宮竹貴久が行った研究に「コクヌストモドキ」という虫がいる。

オスを「よく動くオス」と「あまり動かないオス」に分けて調べたところ、よく動くオスは体格も寿命も健康状態も芳しくなかった。

だけど、交尾回数だけは圧倒的に多かったのだ。

つまり、動くことにエネルギーを割くことで個体としての能力は下がっても、繁殖という目的においては成功していた。

彼らは「個体の質を犠牲にして、量を稼ぐ」戦略を選んでいたのだ。

この話は、まさに人にも当てはまると思う。

「僕の長所はフッ軽です」という言葉は、言い換えれば「僕は個の能力を犠牲にして、行動量と出会いで勝負してます」という宣言なのかもしれない。

黒歴史も、未来への投資

実際、私もそれに似た経験がある。

かつて、ネットワークビジネスに関わったことがある。

「簡単に稼げる」「最高の仲間と夢を追える」

その言葉に心が動いた。実際、熱心に取り組んだ時期もあった。

深い人間からすれば、愚かで恥ずかしい過去かもしれない。

でも、私は今でもそうは思っていない。

あのとき本を読み漁ったし、人前で話す経験もした。良い仲間にも出会えた。

結果的にはビジネスとしてはうまくいかなかったけれど、あれは明らかに「自分が変わるための通過点」だったと今では思える。

試行錯誤を恐れないフッ軽さは、時に黒歴史を生むかもしれない。

でも、それは未来への投資でもある。

信じすぎるということも、また強さ

浅い人間にはすぐに信じてしまうという特徴もある。

実際、私も人に何度も裏切られたことがある。

それでも、また人を信じる。

なぜか。それは、自分も変わり続けているから。

そして、相手も変わったかもしれないと信じているからだ。

「あいつはダメだ」と一言で片付けるのは簡単だ。

でも、人はそう単純ではない。

簡単に他人を断罪せず、もう一度だけ信じてみようと思えること。

それも一つの深さなのではないかと思う。

もちろん、何も考えずに信じるのは危険だ。

だから私は、自分の感情に流されそうなときこそ、一度立ち止まって「それって本当?」と問いかけるようにしている。

信じるという行為には、覚悟もいる。

だからこそ、裏切られても「また信じたい」と思える自分は、弱いどころか、案外しなやかに強いのかもしれない。

ミーハーは、時代を映すアンテナ

私はよく「ミーハーだね」と揶揄されることがある。

だけど、それを恥ずかしいとは思っていない。

むしろ、ちょっと誇らしくさえ感じている。

世の中の出来事に敏感でいられること、新しい本や音楽にいち早く反応できること、何かが始まるときの空気を素早く感じ取れるということ。

これは、ミーハー気質ならではの立派な資質だと私は思っている。

実際、私は新しい習慣や健康法にもすぐ飛びつくタイプだ。

朝のウォーキング?やってたけど、今はやっていない。

週末断食?試したけど、今はやっていない。

「お前は何でも長続きしないな」と言われることもあるけれど、それは違う。

私にとってはやめたというより、今の自分により合うものに切り替えただけのことだ。

そのときの体調、気分、ライフステージに合わせて、ベストなものを柔軟に選び直している。

深い人間は、自分の信念を守ることに誇りを持っている。それは尊いことだと思う。

だけど時に、それは非効率な習慣にしがみつくことにもなり得る。

私は、自分の在り方をその都度アップデートしているだけなのだ。

結局、「自分」ってなんだろう?

私は、「自分とは何か」と聞かれたとき、こう答えるようにしている。

自分とは、固定された核ではなく、状況や相手によって変化し続ける存在である。

そのときそのときで、最善の自分を演じている。

芯がないと言われるかもしれない。

だけど、そのぶん私は変化に強い。

過去にも、未来にも、今の自分にも執着せず、常に変わっていけること。

それが、私の自分なのだ。

ミーハーでいい。

フッ軽でいい。

信じて、失敗して、また信じて、また始めればいい。

変わり続けることを楽しめる人間でありたい。

それでは、今日も1日、最高に楽しく生きましょう!

PROFILE
のりたま
のりたま
僧侶兼主夫として働く、三人娘の父親ブロガー
健康的で、SDGsな子育てや、人生の質を向上させる有益な情報を発信します。
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