エッセイ

陽キャに見られる陰キャの話

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「なんか、いつも楽しそうだよね」

「ポジティブで悩みなさそうでいいね」

こう言われるたびに、ちょっと困ったような、でも嬉しくもあるような、そんな気持ちになる。

だってそれは、ある意味では本当で、ある意味ではまったくの嘘だからだ。

ええ、たしかに私はポジティブです。悩みもあまりありません。毎日楽しく生きています。

でも、それは外から見た私の話。

実際の私は、バリバリの陰キャです。

陽キャじゃなくて、陰キャなんです

そもそも「陽キャ」「陰キャ」というラベリングは、ざっくりすぎるとは思う。

だけど、あえてその分類に乗っかるとしたら、私は間違いなく陰キャ。

根が真面目で、人見知りで、内弁慶で、新しい場所ではまず口数が激減する。

飲み会ではすぐに帰りたくなるし、LINEのグループは未読がたまりがち。

本当は、ひとりで静かに本を読んでるほうが好きなんです。

カフェの隅っこで、アイスコーヒー飲みながらね。

じゃあ、なんで陽キャっぽいって言われるのか。

理由はシンプル。

「無理して頑張ってるから」です。

笑顔は努力の産物

初対面でも、なるべく笑顔でいたい。

自分から話しかけられるように、ちょっとオーバーにリアクションしてみる。

「元気そうだね」「明るいね」って言われると、なんだかホッとする。

でも正直、その笑顔、たぶんちょっとぎこちない。

内心では、「これ、ちゃんと伝わってるかな」と思っている。

でも、それでもいいんです。

だって、私はそうありたいから。

明るく、前向きで、誰とでも仲良くできるような、そんな人になりたいから。

だから私は、勇気を出して笑っている。

苦手でも、人と向き合うと決めたから。

本当は陰キャです。でも、陽キャに憧れてるんです

陰キャにも、2パターンあると思っている。

ひとつは、自分が陰キャであることに誇りを持ち、堂々と生きているタイプ。

「群れるのが苦手? だから何?」って、どこか達観している人たちだ。

もうひとつが、私のように「陽キャになりたい陰キャ」。

──これ、業が深いです。

自分の性格と、なりたい自分がズレている。

自分に無いものを、必死に追いかけてる。

そしてその度に、思う。

「どうして私は、あの人みたいに自然体で明るくなれないんだろう?」

本当の陽キャは、明るく振る舞っているんじゃない。自然にそうなんです。

それが、うらやましい。

陽キャという生き方は、最強の武器

なんで私が、そこまで陽キャに憧れるのか。

理由は簡単。

圧倒的に人生がやりやすいからだ。

人から好かれる。印象が良い。仕事もスムーズ。人間関係も円滑。

それって、全部「信頼」の土台になるものだ。

人間社会というゲームの中で、「明るさ」「ポジティブさ」「ノリの良さ」は、それだけで強力なバフになる。

それを持っていない私は、別の手段でそこに近づこうとするしかない。

だから、今日も努力している。

無理してでも笑顔をつくる。

ぎこちなくても、話しかける。

怖くても、一歩前に出てみる。

そうやって、私は「なりたい自分」に近づこうとしている。

理想は、未来の自分への宣言

「本当の自分って何?」

そんな問いには、こう答えることにしている。

「なりたい自分に向かって、ちょっとずつズレながら頑張っている存在」だと。

陽キャじゃない私が、陽キャに憧れるのは、劣等感なんかじゃない。

理想を持って、そこに向かって少しでも努力しているということ。

それは、きっと恥じゃない。

たとえ上手くいかなくても、報われなくても、誰にも気づかれなくても。

それでも、毎日少しずつでも進もうとしている限り、それはもう「陽キャ」なんです。

少なくとも、私の中では。

だから私は、今日も笑う。

ぎこちなくても、つくり笑顔でも、いい。

いつか自然に笑えるようになるまで。

それでは、今日も1日、最高に楽しく生きましょう!

PROFILE
のりたま
のりたま
僧侶兼主夫として働く、三人娘の父親ブロガー
健康的で、SDGsな子育てや、人生の質を向上させる有益な情報を発信します。
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