【エッセイ】あっという間に人は死んでしまうから

私たちは日々、「時間がない」と焦りながら生きている。
しかし、本当に時間が足りないのだろうか?
それとも、時間の使い方を誤っているだけではないのか?
『あっという間に人は死んでしまうから』を読んで、私はその問いを突きつけられた。
著者・佐藤舞さんは、時間という資源を「目に見えない人生の土台」として扱っている。
誰にとっても平等に流れるはずの時間が、なぜこんなにも「足りない」と感じられるのか。
その最大の理由は、「自分の意志で時間を使っていないこと」にあるのだと彼女は指摘する。
多くの人は、気がつけばスマホに時間を奪われ、なんとなく気晴らしをして一日を終えてしまう。
そして夜になってからようやく、あれもこれもやれなかったと後悔する。
だがその時すでに、時間という資源は戻ってこない。
本書の中で特に印象的だったのは、「人生の浪費とは、時間の浪費である」という一文だった。
この言葉はあまりに当たり前すぎて、普段は見落とされがちだ。
けれど、改めてその意味を考えると、背筋が伸びる。
「人生がうまくいっていない」と感じる瞬間があるとすれば、それはつまり「時間をうまく使えていない」ということに直結する。
やりたいことに時間を使えていない、あるいは本当はやりたくないことに、貴重な時間を吸い取られている。
こうした状況に気づかずにいると、人生全体が「なんとなく過ぎてしまう」ものになってしまうのだ。
佐藤さんは、時間を取り戻すためには「死・孤独・責任」という人生の理と向き合う必要があると説く。
死は人生の有限性を、孤独は他人には決してすべてを共有できない現実を、責任はすべての行動を自分で選ばなければならないという覚悟を、それぞれ私たちに突きつけてくる。これらはどれも、不快で重い。
だが、人はこれらを無視することによって、無意識のうちにラクな逃げ道ばかりを選んでしまうようになる。
例えば、やるべき仕事が目の前にあるのに、ついSNSを開いてしまうのは、そこに死や責任を感じる必要がないからだ。
気軽で、即座に報酬が得られて、誰からも責められない。
その代わりに、人生の主導権は少しずつ、けれど確実に失われていく。
この本を読みながら私は、「時間がない」という感覚の正体は、単なる物理的な不足ではなく、選択の回避なのだと実感した。
つまり、「何をやらないか」「何にNOと言うか」を決められないことで、あらゆることが中途半端にやられてしまう。
その結果、自分の人生なのに、自分が操縦していない感覚だけが残ってしまうのだ。
これは、自分の生を生きているのではなく、他人の思惑やアプリの設計、あるいは過去の惰性に操られて生きているということでもある。
本書の提案は、単なる自己啓発的な努力論ではない。
大切なのは、人生の設計図を「目的→目標→手段」という形で明確にし、その順序で日々の行動を構築していくことにある。
価値観に基づいた目的が定まれば、そこから逆算して「いま何をすべきか」が自然に浮かび上がってくる。
つまり、時間管理とはスケジューリングの話ではなく、価値観の可視化と優先順位の設計の問題なのだ。
この考え方は、7つの習慣でいう「ビッグロック理論」にも通じており、「重要だが緊急ではないこと」に先に時間を割り振らなければ、大切なことは永遠にできないまま終わるというシンプルな真実にたどり着く。
また、忘れてはならないのが、「完璧を目指さないこと」だ。
100点を取ろうとするあまり、80点でも良かった行動がどんどん先延ばしになり、やがて手つかずのまま人生から滑り落ちていく。
佐藤さんは「行動はまず意味から始めるべき」と語る。
その行動が自分にとってどんな意味を持つかが腑に落ちていれば、たとえ60点の出来でも、自分の中では満足できるし、結果として続けられる。
ここにこそ、真の時間の所有がある。
この本を読み終えたとき、私は、何か劇的に新しい知識を得たというよりも、むしろ「知っていたのに見ないふりをしていた真実」が、ようやく腹に落ちた感覚を覚えた。
人生はあっという間に終わる。
その事実から目を背けているうちは、時間の本当の価値には気づけない。
そして、気づけなければ使い方も変わらない。
時間とは流れるものではなく、設計するものなのだ。
「いまこの瞬間、何に時間を使っているか」は、「私はどんな人生を生きているのか」という問いそのものだ。
本書は、そんな深く静かな問いを、私たちに投げかけてくる。
そしてその問いに、自分自身の言葉で答えられるようになったとき、ようやく私たちは「自分の時間を生きている」と言えるのかもしれない。
最後まで目を通してくださり、ありがとうございました。
この文章が、あなたの思考に少しでも触れられたなら光栄です。