趣味はなんですか?という難問

「趣味はなんですか?」
この質問、地味に難問である。
なぜなら、ありすぎる。
そして、毎度変わる。
昨日は筋トレ、今日は読書、明日は将棋かもしれない。
そのくせ「趣味は特にないんですよね」と言ってしまうと、なんとなく人生に色がないような気がして、少しさみしい。
でもそもそも、「趣味」ってそんなに一貫してなきゃいけないんだろうか?
目次
趣味が多すぎて困ってます?
「やりたいことが多すぎて困ってます」
よく聞くフレーズだけど、冷静に考えると、何も困ることはない。
いま、目の前でやっていることは1つ。それで十分だ。
朝はウォーキング、昼は読書、夜は料理。
それだけで3つ趣味を持っていることになる。
むしろ「趣味が多い」ことは、それだけ人生の幅が広いということだ。
趣味の定義が高尚すぎる
一方で「趣味がない」と悩む人もいる。
でも、それって単に趣味のハードルを上げすぎているだけかもしれない。
趣味=極めたもの、継続しているもの。
そんな固定観念に縛られていないだろうか?
読書だって、月に1冊しか読まなくたって立派な趣味だと思う。
筋トレも、音楽も、始めたばかりのにわかでも、興味が芽生えたその瞬間から、それはもう「自分の世界」だ。
よくスポーツファンで、ファンになりたての人を「ニワカ」と呼んでマウントをとる人がいるが、あなたも最初はニワカだったはずだ。
興味の芽をブルドーザーで潰すような真似は、もうやめにしよう。
自分にはできない?そんなこと、考える必要はない
「やってみたいけど、自分にはムリかも」
「うまくできないかも」
そんな言葉が頭をよぎったときこそ、私は喜んで飛びつくようにしている。
できるかどうかなんて、やってみないと分からない。
やってみて、つまらなければやめればいいし、楽しかったら続ければいい。
ただそれだけの話だ。
やる前から「無理」と決めつけて、自分の可能性にフタをしてしまう。
それこそが最も愚かな行為だと、私は思っている。
人が成長する瞬間というのは、たいてい「やったことがないけど、ちょっと面白そう」という領域の中にある。
ほんの少しの勇気。ほんの一歩の前進。
それがコンフォートゾーンを越え、昨日の自分を塗り替える。
だから私は、あえて色んなことに挑戦している。
派手な成果が出なくてもいい。
「昨日の自分がやらなかったことを、今日やってみる」
それだけで、人生は確実に前に進んでいる。
趣味の掛け算が、思わぬ扉を開く
趣味は、広ければ広いほどいい。
なぜなら、それぞれが新しい出会いや視点を連れてくるからだ。
そして、いつかそれらが掛け算になる。
読書と筋トレ。ポッドキャストと料理。散歩とアイデア出し。家族との対話とブログ執筆。
私のブログだって、もともとは読書やポッドキャストで得た知識、家族と語らった日常、筋トレやウォーキングの中で浮かんだアイデア。
そんなバラバラの趣味たちが、ある日ふと、手を取り合ったことで生まれたものだ。
趣味は、世界を広げる。
そして広がった世界のどこかで、思いがけない「化学反応」が起きる。
趣味は一生モノである必要はない
「続かないんですよね」と言う人がいる。
いいじゃないか、やめたって。
趣味ってのは、今この瞬間に好きなこと。
たとえ3日坊主で終わっても、それは「その3日間の自分の一部」だった。
私も以前は毎晩ダーツバーに通っていたが、結婚して子どもが生まれてやめた。
けれど最近、また家でダーツを投げている。
野球に夢中だった時期もあったし、今はバドミントンにハマっている。
何かをやめたときは、次の何かを始めるタイミングなのだ。
人生のフェーズに合わせて、趣味も変わる。
それでいい。というか、それがいい。
主体的に、自分の「好き」を選び直し続ける
私の持論はこうだ。
「人の目を気にしすぎず、自分の『今これにハマってます』を大事にすること」
ニワカ上等。
フッ軽万歳。
やりたいときにやって、飽きたらやめればいい。
楽しんだもん勝ちだし、小さな「好き」を重ねれば、世界の見え方も変わってくる。
まずはスモールステップで、「ちょっと楽しい」をひとつ、やってみる。
それがきっと、あなたの人生のどこかを彩ってくれる。
趣味なんて、なんでもいい。
「好き」があるってことが、もう尊いのだから。
それでは、今日も1日、最高に楽しく生きましょう!